その歌声を耳にした時、感情が刺激され、忘れ去った記憶がよみがえる。
あの日確かに見て心にとどめたものの、移ろう現実の中でなくした風景。
風景なら、まだいい。心の放物線がかつて交わった大切な人が浮かんだ時には、
熱い恋や悔いても悔いたりない思いがわきあがり、いたたまれなくなる。
映画のワンシーンのような歌詞は、現実よりもリアルな絵空事があることを伝える。
叙情性に彩られた旋律は、聴き手の感情を揺さぶり、音楽の力を教えてくれる。
似たような曲は、今の音楽界を見まわしても、どこにもない。
ある意味、わがままに自分の世界を押しとおす。
聴き手におもねる音楽家が多いなか、そんな発想は浮かびさえしない。
孤高という言葉がこれほど似合う音楽家もいない。
繊細で優美だが、ある面では恐ろしくりりしく、そして誠実。
すべては中途半端で突き詰めることが美徳ではなくなった21世紀の日本。
ここまで自分の歌世界を貫く音楽家に出会えたことを喜びたい。
大野宏